『美味しんぼ』の作者として著名な雁屋哲さんが、ご自身のブログで、『茶髪・金髪は何とかなりませんか』との表題で、凄いことをおっしゃっているので、このブログ初めてのトラックバック(笑)。
私も、この日記の中で、過去にアクアの髪染めのことをもって、「茶髪批判」をしたことがある(あの頃から読んで下さっている方は、私がどれ程頭の固い人間かとお思いのことでしょう)のですが、今思えば、あれは視野が狭い人間であったからに他ならない。
今でも、「皆も染めているから」と言う考え方で、茶髪にするのが当たり前と言う感覚で茶色く染める人は好きになれません。でも、そこに「これはお洒落でやっている」というポリシーがあるのなら、別に構わないと、今なら思えます。そのポリシーの結果が皆と同じになっていてそこに独創性が無いとしても、それは本人の色の選び方や髪型との組み合わせなどと言うセンスの問題。他人が人のセンスに口出しをする道理も無いので、そこは言及しないものとします。
今年の春に高校を卒業した息子も、専門学校へ進学が決まって、卒業式も終えた後には、直ぐ髪を染めていました(笑)。でも、それは裏を反すと、高校卒業までは、一度も髪を染めたりしなかったし、したいとも言わなかったと言うことです。
それを評価すると、息子は、私の考え方がよく解っていた様ですね。息子が一時遊び半分で煙草に手を出した時にしこたま叱ったのですが、その時の基本的な考え方はこう。
「その煙草を買う金はどこから入ってきたものだ?親の金で食わせて貰っているのに、その金でそういうことに金を遣うのはおかしいと思わないか?仮に自分でバイトして稼いだ金で買ったんだとしても、親の金で学費出してもらったり、家に住んでいる以上、二十歳未満の煙草は許さん。吸いたけりゃ、家出て自分の収入だけで生活出来る様になってみろ。親の金に頼っている間は、親と社会が決めたルールにしたがえ(社会の経済活動の中で働かせて貰っている限り、社会のルールにも従え)。」
そんな事もありましたねぇ・・・。次に煙草見つけたら、高校辞めさせるってぇ、怒鳴り散らしました。基本、論理的に叱る私ですが、この時ばかりは滅茶苦茶感情的になりました。「友達が吸っているから自分も」と言う様な、ポリシー無く、軽い気持ちで悪さしているのが見え見えだったから。
でも、そんなこんなを乗り越えて、彼は晴れて髪を染められる日を迎えた訳です。専門学校では、染髪対する規定が無いので、私も文句を言いませんでした。これからは、決められたルールの範囲の中で、精一杯自己主張する手段を見に付けていったら良い。クリエイティブな業種を目指して勉強をしてゆくのだから、そういう力を身につけて欲しいと思います。
そう、人に迷惑をかけない様、決められたルールの中で個性を引き出す。社会のルールを破って悪ぶるのが格好良いのではなく、ルールやルール内であってもマナーの中で、個性を表現出来るヤツが格好良いんです。
まぁ、話を戻すと、そうしてルールの中でやっている人なら、別に髪が茶髪でも良いのではないでしょうかね。ただ、前述の通り、法律内であっても、マナー違反なのは私も許せないと思いますけれど。
確かに、日本人の品位は低下していると思うし、自分で考える・創造する力は弱まっているとは感じます。しかし、『団塊世代の遺産を食い潰してる』とは侵害です。団塊世代だって、戦前・戦中の財産を食い潰して来ただけの人もあれば、創造して来た人もある。現在の若い世代だって、食い潰すだけの者もあれば、創造する者もある。茶髪・金髪のクリエイターの創る物は長く残らないと言われるが、それは消費者に合わせて売れるものを創ろうとすれば必然。そういう使い捨ての文化を好む消費者達だから・・・。
でも、その消費者像を作り上げて来たのは、その彼の言う“団塊の世代が戦後作り上げてきて、隆盛を誇った大企業”達ではないでしょうかね?彼らが高度成長に乗ってこういう社会にしたんじゃないのですか。
こんなおかしな世の中の最も礎となったバブル期、その団塊の世代は幾つ位の年齢で、企業に勤めていればどれだけの要職にあって、その消費者を扇動してきた企業をどれだけ動かして来たのかしら・・・と、考えられないのは、はなから「今の若者どもはどうしようもない」と、目にフィルタリング機能がついてしまっているのではないかと思いますよ。
でも、我々(まだ、自分も若いと思っているw)も、そう言う思い込みで見られない様に、自分を磨かねばいけませんね。頑張ろう・・・っと、のたまう私は染髪・喫煙経験ゼロ。
・・・最近、「“若”白髪」が目立って来たよ(涙)。人生初の染髪は「白髪染め」になりそうな確率はヒャク(汗)。